伝える人がいなければ、何もわからなくなる
- 2015/03/24
- 23:09
報道はどうあるべきか(2)
【伝える人がいなければ、何もわからなくなる】
IS(Islamic State、自称イスラム国)と日本の人質交渉が最悪の結果を迎えた直後から、交渉方法の是非が問われた。2月中旬には、外務省によるジャーナリストの渡航規制に賛同する声が無視できないレベルに達し、ネットでは匿名の主たちがマスコミならぬ「マスゴミ」と呼んで気勢を上げていた。
「ジャーナリスト? なにか勘違いしていませんか? 知る権利というのは、国民にあってジャーナリストじゃないんですよ。おまえら知能の低いジャーナリストが人質としてつかまったとして、どうやって責任取れるの? 国政を停滞させ、他国に及ばす害をどうやって解消できるの? おまえらに? ただのゴミじゃん。迷惑かけるなよ、まともな人たちに。わかったか、ゴミ」(2015年2月15日)
乱暴な言い回しの中にまじめな怒りも見て取れる。この国で、ジャーナリストの評価はとても低いようだ。
2月の始め、実は「報道記者の原点」の著者である岡田力は、こんなメールをよこしていた。
〈2012年8月、フリージャーナリストの山本美香さんがシリアで殺害されました。私は美香さんに何度かお会いしたことがあったので、ショックを受けました。あのころのシリアは政府軍と反政府ゲリラが対立し、無政府状態になっていました。同行していた夫の佐藤和孝さんによると、美香さんを殺害したのは政府軍とみられる兵士でした。ところが、シリアはその後急変していました。イラクからイスラム過激派が入り込み、状況は一変していたのです。そのことを伝えてきたのはジャーナリストたちでしょう。後藤健二さんもその1人です。伝える人がいなければ、私たちは何も分からなくなってしまいます。だから後藤さんの仕事は尊いと思います。心からご冥福を祈ると同時に、同じ報道に携わるものとして、今回何もできなかったことは忸怩たる思いです〉
【ジャーナリストっていったい何?】
朝日新聞の誤報問題による謝罪の記者会見を一つの点とすると、この点から日本のマスコミへの不信感は一気に拡大した。そこに人質問題が加わり「ジャーナリストっていったい何?」という“素朴な疑問”が噴出した。この疑問を解いていく義務は朝日にある。
アメリカ国務省情報プログラム課の、Share Americaの書いたレビュー『ジャーナリストへの攻撃は知る権利への攻撃』(2015年1月7日)は、そんな“素朴な疑問”に、新たな視野を与えてくれるだろう。ISについてこんな記述がある。
「このテロリスト集団は、ジャーナリストに暴力を行使して、全世界の報道機関がシリアに記者を派遣するのをやめさせようとしていた」
つまり、テロリストや抑圧的な政府や犯罪組織などは、「真実がわかると困るので、真実を伝えようとするジャーナリストを殺害するのだ」という観点である。
「あんな危ないところに行って、迷惑な」という発想ではない。「ジャーナリストこそ強い武器なのだ」という考えが、一応、彼らの良識として成り立っている。
さらに同レビューは『ジャーナリストはもはや、この国の人々が苦しんでいる姿を報じる中立的な証人としてシリアで歓迎されなくなっている』というフランス通信社(AFP)の記事(2014年9月)を引きあいに出す。
朝日は1月30日に各国の報道陣70人とともにシリア北部で取材したようだが、もっと危険なところに入らなければならない場合も出てくる。そういったジャーナリストが、ときとして住民だけでなく、ゲリラやテロリスト側の苦悩や背景も描きだすからこそ「中立的な証人」としての信頼を得る。
むろん、アルカイダやIS、ヌスラ戦線を語るとき、過去のアメリカの責任は重いといえる。
シリアのアサド政権の虐殺の数々、化学兵器の使用に対して怒ってみせ、アサドを抹殺しようとして反政府軍の支援をリードしたのもアメリカだ。そして今日、イスラム国の壊滅作戦によって民間人の殺戮、生活破壊も同時進行している。アメリカが、正義を掲げてフセインを除去したあとのイラクは、まるで戦国時代だ。
これらのレトリック(詭弁)やギミック(からくり)を暴露するのも報道の、ジャーナリストの役割である。
【朝日記者の旅券も没収しろ、は正論】
朝日が、シリア北部アインアルアラブからの長編記事を掲載したのが、今年2015年1月31日。
外務省からの要請を報道して、読売が朝日を牽制したのは同日付けの夕刊。
フリージャーナリスト殺害映像が流されたのは、その翌日の2月1日。
朝日のシリア北部アレッポからの記事が同日朝刊。産経の朝日批判記事も同日。
フリーカメラマンの杉本祐一の旅券返納騒動が2月8日。
時系列で見ると、新聞社間の駆け引きと安倍政権と外務省の思惑による、さまざまなドラマがあったことは想像に難くない。
フリージャーナリストの志葉玲は、すでに1月31日には「読売新聞による朝日記者のシリア取材批判はメディアの自殺」とのレビューを書き、相応の説得力があった。しかしそのような主張むなしくの旅券返納強要問題のあとは、フリーカメラマンへのバッシングのほうが目についた。
外務省の旅券課などに聞いたが、旅券返還や邦人保護に関して、ジャーナリストと一般の人との区別など、旅券法や大使館設置法はもちろん、取り決めや基準も何も分からない。 もし基準がないのならば、「フリーカメラマンだけでなく朝日記者の旅券も没収しろ」「朝日が許されるならオレもシリアに取材に行く」というのも正論だといえる。
もっとも日本では「言論抑圧の社会をつくらないために、ジャーナリスト活動こそ支援されるべき」という原則が、国の考えなり、民意として成立しているのかどうかさえ怪しい。
【「現場に行く」のが記者】
岡田は、報道記者としてのスタンスを現場におく。現場が大事とは聞こえがいいが、ただ行けばいいというものでもない。それでもまず、現場なのだと岡田は書く。
岡田からのメールの最後に、こんな一文が書き添えてあった。
〈後藤さんは「死んでは意味が無い。伝えなければ意味がない」と言っていたようですね。朝日の記者も同じです。死んでは意味がありません。細心の注意を払い、あらゆる手段を使って安全を確保したうえで入っていると信じています。それにしても「現場に行く」のが記者です。現場に行かない報道機関が、現場に行った記者や報道機関を批判する。この国のジャーナリズムはおかしくなってきていますね〉
本文敬称略
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