『徳洲会の功罪』
- 2015/10/03
- 19:00

『徳洲会の功罪』という本を書きませんか?
そう切り出した途端に、猪瀬直樹元都知事は、怪訝そうな表情を見せた。
それまで30年も前の企画の話などをしながらの、和やかな猪瀬の表情は、その一言で一変した。
猪瀬のオフィスを訪ねたのは、2014年の11月のことだった。
つまり、朝日新聞が、徳洲会から5000万円を受け取っていた彼の不祥事をスクープしたのが、2013年の11月。その1ヶ月後には、都知事を辞職しており、そこから11ヶ月が過ぎてのことである。さらに2014年の3月には、略式起訴された罰金の50万円を即日納付したことで、この事件は、すでに事実上の幕引きになっていた。
もう、そろそろ書けるのではないか。そう思って、単刀直入に猪瀬に提案したのだが取り付く島もない感じである。
「あのね、誤解されていると思うんだけど、僕は本当にね、徳洲会とか徳田さんと深い関係はないんですよ。徳洲会のことって、まったくといっていいほど何も知らないんだから。それに、医療に関しては、僕はぜんぜん分からないんですよ」
こちらは今更、辞職に追い込まれた事件の真相を知りたいわけではなかった。
もっとも、彼が、いわゆるシロだとは誰も思っていないだろう。都が数億円もの補助金や工事費を支出、補助したことは歴然とした事実であり、そんな許認可権を持つトップが、その相手方から5000万もの金を受け取っていいはずがない。しどろもどろの会見は、すっかり彼の威厳を喪失させていた。辞職したとはいえ、これまでの野蛮な地検特捜部のやり方でやれば、あんな程度の罪で済むはずもなかった。「猪瀬逮捕は秒読み」とさえ記事にした記者らは、地検は何をやってるんだと不満を漏らしていたほどだった。
だがそんなことを、ようやく胸を撫で下ろしている当事者に、わざわざ言いに行ったわけではない。
むしろ、ぶざまな姿を晒して引退した政治家ではなく、筆力のある作家として、猪瀬がどう徳洲会という大きな組織を解剖してみせるかに期待したのだった。自身が関わった相手だからこそ、作家復帰を目指してやってほしいと頼んだわけだが、猪瀬にしてみれば大きなお世話ということだったろう。
もっと違った切り口で出版できないか?
関心は、医療法人徳洲会を中心とした日本最大、世界3位とも言われる巨大な医療グループと、その創設者の徳田虎雄に向いていた。選挙違反や臓器売買あっせん、親族への利益供与、暴力団とのきな臭い関係。あげればきりがないほどの話題を提供し続ける彼らである。
しかし一方で、医師会を敵にまわしながらも、さまざまな医療改革を訴え、僻地医療や、夜間、救急医療に力を注いだ徳田虎雄、そして徳洲会。その功績がゆえに、現在の徳洲会があるのであって、それを解剖することは、日本の医療制度を解剖することになる。まさしく、「功罪」を語るにふさわしい取材対象なのだ。
沖縄で朝日生命の支店長をしていた高校時代の同級生が力を込めて語ったことがあった。
「沖縄で、夜中に具合が悪くなって、どこの病院も診てくれないなかで、沖縄徳洲会の病院だけは、ぜったいに診てくれる。そういう評判が広がっていく。あれはすごい。患者にとっては、そこが最も大事なんだから」
そういう声を聞いて、「生命だけは平等だ」という徳田虎雄の理念が生きているからこそ、世界有数の医療グループになった、というのは、あながちオーバートークではないと感じた。逆に言えば、そういう付加価値、社会貢献のない組織の急成長ほうが、腑に落ちないわけである。
医療は口コミである。どんな偉い医師でも、患者らはすぐに「ヤブ医者」と言って悪評を広める。そしてその逆もある。
徳洲会の医療改革とビジネス。あのエポックメイキングなやり方に、光を当てられないか。
それから、徳田虎雄という、破天荒で大胆不敵な男について知りたいと思い、徳田について書いてある本を読み漁った。人としての魅力はぞんぶんにある。いまは亡き、日本マクドナルドの藤田田を思わせる歯ごたえと器量。
だが、読んでみると大半は徳洲会の息のかかった本で、客観性に乏しく説得力に欠ける。一方で徳田批判の書籍はというと、いずれも的を射ていない。ふと、猪瀬直樹ならもっと違った面白いものが書けるのではないか、もっと違った切り口で本にできないか、と思いついたのだった。
事情はあるにせよ、診療拒否は許せない
自分自身の経験もいくつかあった。その一つは、埼玉に住んだころのこと。深夜に娘が腹痛を起こし、救急医療をうたう5つにの病院に電話を入れたことがある。
しかしどう訴えても、どの病院も診療を完全に拒否した。電話に出るのは医師ではなく、まるで断るのを専門にしているかのような職員だった。「どうして診るだけでも診てくれないのか」というこちらの言い分は、まったく通じない。
診てほしいという話だけなのに、こちらがクレーマーであるかのようにあしらわれる。娘は大事にいたらなかったが、こちらの心中は穏やかではない。急患を受け付けないのに、そういう補助金を受け取っていいものかと。
東京都の場合、1病院につき年間1500から2000万円の補助金を、2次救急医療機関に出している。ところがこの補助金は既得権益になっているため、病院経営からすれば、コストのかかる当直の数を減らし急患をなるべく受けなければいい、となってしまう。病院によって実績に差がついても、ペナルティも補助金の返金や減額もない。そんな実態があるという記事を目にすると、余計に疑問を持ってしまう。
救急医療にまわされた新人医師のドキュメンタリーを見ると、その壮絶な現場と彼らの処遇に唖然とする。病院側にも相当な事情があることはわかっている。しかし患者側としては、緊急時に、病院側の事情を考えるゆとりはない。
医療機関に診てもらえずに、生命を落とした患者の話は山ほどある。救急車に乗って、たらい回しにされた例はいとまがない。「どの病院も診てくれなかった」という結果が、医療不信につながっている。
診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない――。
医師法19条1項の条文には、そう明記してある。
だが、東京大学教授の矢作直樹は、逆に、この条文が、医師に困難対応患者への対応までも拒みにくくして、心理的物的負荷をかけている、と指摘している。
「この条文が最近医師側にひきおこしている心理的問題として、専門化を追い求めた大学で教育された医師が、専門以外の患者への対応にためらいがちになり、国民も専門医を求める傾向が強まればさらにそれに拍車をかけるということがある」
日本は、病院の数が多すぎるために一医療施設当たりの医師数が極端に少ない。そのために、夜間や土休日診療の延長として救急医療もおかれ、それは大規模病院の多くも含めてほとんどの病院では、いわゆる応急処置となるのが現実である、と矢作は観察する。
構造的な問題の分析には意味がある。とりわけ救急医療の問題は、簡単ではない。しかし病院経営のトップが、「それを自分が変えてみせる」と豪語し実行することによって、変わるものもある。
さまざまな理由のもとに診療拒否が公然と行われる中にあって、徳田虎雄は、1973年に、「24時間オープン、年中無休、贈り物は受け取らない」をポリシーとした徳田病院をつくった。それが、日本にとって無視できない規模の医療機関グループに成長した。彼は、無医村で弟を亡くした体験から医者を志し、医療格差是正への思いを持ち続けてきたという。
『徳洲会の功罪』という出版テーマは猪瀬直樹には響かなかった。だが、その着想、そこを掘り下げていくことには意味がある。
酔った勢いで仲間にそんな話をしていると、「あんな不祥事を起こしてシラを切り通した猪瀬に、そんなものが書けるはずがない。そんな度量もない」と返された。 『自分を売る男 猪瀬直樹』を出版し、天敵とばかりに猪瀬批判を繰り返してきた佐高信ばりの口調である。
だが、叩くことだけを本業としている人には、そういう物事を俯瞰した作品は書けない。
出版もいいのだが……、まずは、そのあたり、そんなところの議論を十分にしてみたい。
本文敬称略
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