居酒屋の熊さん
- 2015/12/29
- 14:28

赤提灯に「熊」がいた
埼玉県にあるドブ川の近くに、小さな赤提灯の一杯飲み屋がある。
当初、この赤提灯の暖簾をくぐるには、二、三軒ハシゴしての相応のアルコールが必要だった。ウラ寂れた雰囲気のある店に入るときは、いつもそうだ。ある種の肝試しである。
予想をはずさず、暖簾をくぐると店のなかから、やっかいそうな店主がこちらを睨んでいる。
「どうする? やめとく?」と思わず連れの女に言ったほどだった。
店主の身長は約一八〇センチ。腕は太く普通の人の足のふくらはぎほどはある。空想の生き物で言えば雪男。動物で言えば、まさに「熊」。だが、その強面についた目はよくよくみれば愛らしい。熊もゴリラも、そうであるように。
熊のくせに「割と面白い男だな」と思うようになってから、すでに二年半がたつ。熊は双子の弟で兄貴は警察官。年齢は四十五歳ほど。地方の村の出身で小さい頃からガンコな面もあり、村にいるときはイジメや村八分にも遇った。幼少のころは身体も小さく気も弱かったらしい。やがて陰湿な村を飛び出し、世帯を持って調理を学んだものの、そのとき勤務していた店の親方が、池田大作の写真をお守り代わりにペンダントに入れていることを、日々、自慢げに話す創価学会員で、それがイヤで円形脱毛症になって店をやめたのだという話もある。
独立してこじんまりした赤提灯を開いた。それゆえに大の創価学会嫌い。スポーツにはやたら詳しいが、自他共に認めるインドア派。ガタイはでかいが虫が苦手だという変わり種だ。
そんな熊が、今流行りのネトウヨ、つまりネット右翼だと知ったのは、一年半ほど前のことだった。彼が、どれほどネットに書き込んでいるかは白状しないのだが、成り行き上、熊をネトウトと呼んでいる。
彼の嫌いなものは、第一に朝日新聞、第二に創価学会。そして韓国人と中国人。
頻繁に彼が在特会という極右団体の街宣ヘイトスピーチ動画を見ていることを知った日に、「ありゃひでえな。ゴキブリ、死ね、はないだろ」と熊に言うと、「なんすか、あの、在特会に対抗しているカウンターとかいう奴らは。刺青してケンカ売っている姿は、どうみてもヤクザでしょう。在日ヤクザは犯罪の温床じゃないの?」と極右団体のほうの肩を持つ。川崎で少年が殺された事件では、犯人を暴くサイトを見たらしく、在日排斥を口にする。
本性を見せた熊
もっとも最初のころ熊は、その本性を見せなかった。スポーツを語っても、政治に触れることはなかった。ところがある日、近所のオヤジが飲みに来ていたとき、熊とオヤジ二人で好き放題の政治話が始まった。
熊が原発反対運動のニュースを観て、ぼそっと言ったのがきっかけだ。
「原発に反対している連中って、純粋な地元住民じゃないよね」
近所のオヤジが大きく頷く。
「過激派とかサヨクが、全国から集まってきて、あんなことやってるんだよね。地元住民は迷惑している。原発は、どう考えても今の日本に必要だよ」
そう言いながら、こちらもチラ見する。
「しかも奴らは日本人じゃないから。どっかから金もらってやってるんだ。あんなところで反対運動しているぐらいなら、まじめに仕事しろ、だよね」
やがてオヤジが帰ると、今度は、熊はこちらに話を振ってきた。
「でしょ?」
明らかに、同意を求めている。
政治主張をする熊の一面を見て驚いていたのはこちらだったのだが、すでに連れの女と焼酎一本開けていた自分には、「この熊を狩らねば」という気持ちが高まっていた。
「じゃあさ、再稼働して出てくる核廃棄物はどうするの? 廃棄物は、どれほどあると思う?」
熊は驚いて黙った。熊はその質問に、味方ではないと嗅ぎとったようである。
「原発は、いずれ廃炉にしなきゃならない。一基にいくらかかると思う? そして何年かかると思う?」
別に、反論しようと思えばいくらでも反論できる質問なのだが、熊は首をかしげて困っている。蜂蜜のツボに手をいれたはいいが、その手が抜けない、という面だ。
「知らないよ」と熊は、小声で返す。
「あの事故で、土地も家も奪われた人間と何人話したことあるの? オレは事故直後、ガイガーカウンターが振りきれる中を、10キロ圏内に入って、あの街がどうなってるか見てきたんだ。そこまで言うなら、現場を見に行ってから言え」
険悪な空気が流れた。熊は、こっちが、そんなことを言い始めるとは思ってもみなかったのだろう。
「知らねえよ。そんなこと」
熊は吐き捨て、コップに日本酒を手酌して飲みほした。負けてなるものかと、こっちも焼酎をビンから口の飲みして半分吐き出して凄んでみせた。凶暴な熊と闘うには、決して目をそらしてはいけない。サメと闘うにはアゴパンチ。相場は決まっている。
やがて罵り合いになり、カウンター越しに熊が包丁でも持ちだしたら、どうしてやろうか構えていたものの、実は、この熊は好戦的ではなかった。
今では笑い話なのだが、このころはまだ自分と熊の人間関係はなかった。たがいが距離をはかりかねていた。
身長の低い自分にとって180センチ以上ある男は、経験上、おおむね敵である。ハンディがあるからこそ、でかい熊は一発で仕留めた方がいい。
ところがそういうときにも、人はふと冷静になるものだ。熊にもようやく酒がまわり、麻酔銃で撃たれたように眼力も弱くなっている。そこで、やんわりと言ってみた。
「日本という国もさ、意外と被災者に冷たいんだよ。その身になったら、百倍、千倍、国に文句言うかもね」
熊はずいぶん大人しくなった。
「そういうのもあるよね」

写真はイメージです。
ガタイもでかいが、声もでかい。
安い割に旨いこの店に通ううち、この熊が野生でないことが分かってきた。生真面目で、しつけも性格もいい熊なのだ。
どんな犯罪も暴力も嫌い。日本が本当に好き。日本人は世界で有数のいい国であり、優秀な民族である。典型的なおめでたい日本優越主義で、愛情深く、暴力反対がスタンスだ。「反戦やマイノリティのためなら機動隊との直接対決も辞さない」などいう野蛮な考えは微塵もない。
おそらく、ネトウヨというのはみんな、そういうもんではないのかしらん、と思うことも頻繁にあった。
「よく不良が、たまたま学校で掃除をまじめにしただけなのに、なぜか褒められたりするでしょ。あれはおかしいよ。掃除はするのがあたり前で、しないほうが悪いのに、掃除をしたからといってなぜ褒めるのか。こっちはいつも真面目に掃除しているのに、褒められもしないんだから」などと熊はよく口にする。不良へのトラウマもあるらしいことがわかってきた。
ガタイのいい熊は、とても真面目で不良が嫌い。だから、カウンターのような入れ墨で威嚇するようなタイプは「根っから嫌い」なのだそうだ。
「いやいや、在日や同和の闘いを知ってたら、そうも言えないよ。陰湿な差別と闘うにはさ、体張って乗り込んでいくしかなかった。特に昔はね」などと、少しでも自分がカウンターを擁護しようものなら、熊は不機嫌だ。
「在特会とカウンターだったら、在特会のほうが正しいことを言っている」と熊は譲らない。
以後、飲み始めて他の客が引けると、毎度のごとく熊との戦争が始まる。熊は声もでかい。
「韓国人は日の丸焼くでしょ。あれは韓国で日の丸焼いても罪にならないからですよ。日本で韓国の国旗焼いたら犯罪でしょう。おかしいですよ!」
「あいつらが反日教育に洗脳されて日本人ぶっ殺すとか言うから、日本人も怒るんでしょ。どっちが悪いの?」
「中国の漁民はサンゴ取りに来て、単なる大泥棒でしょ。大泥棒」
「朝日は従軍慰安婦とかでウソばっかり書いて、反日だからね、韓国や中国がつけあがる。すぐ潰れますよ。あんな新聞社」
「従軍慰安婦像なんかをつくって、世界からバカにされている。嫌われ者の韓国人」
「南京大虐殺なんてなかったんだから。写真もウソだから。だって人口考えればわかるでしょ。30万人も死ぬわけがない」
「伊藤博文を殺した安重根を国民的英雄にしたてるんですよ、韓国という国は。伊藤博文は日韓併合には反対だったんですよ」
「日本は韓国なんか植民地化してないんですよ。日韓併合で、韓国に相当尽くしているんですよ」
「フェミニストというのは、すべてブスですよね」
熊は、まくしたてるので言葉をはさめない。まずは、とにかく気持よく怒らせおくのが得策である。そして熊が幾分大人しくなってから議論する。こちらも熊の扱いに慣れてきたのだ。
熊は短いツイッター文章は読んでも、本は読まないし新聞は読まない。論文などは読んだこともない。映画は楽しいエンタメしか観ない。陰謀論とオカルト好き。彼の情報源は、テレビニュースと、もっぱらネットである。しかし、wikiや2CHや保守速報でお勉強するらしいこともわかってきた。
熊の知識は極度にバランスが悪い。例えば熊は、安重根は詳しく知っていても、731部隊は知らない。南京大虐殺の議論は知っていても、国家総動員法や大政翼賛会は、その単語すら知らない。解放同盟は知っていても、全解連は知らない。連合や総評は聞いたこともない。民団と総連の区別も知らねば、帰国事業も知らない。「キューポラのある街」も「橋のない川」も観たことも聞いたこともない。しかし戦争や、在日や同和という根の深い問題を語ろうとする。
いわば、かつて山本七平が指摘した国民総政治化現象の象徴だ。
最近はずいぶん右寄りの自分とて、政府のやることなすこと大賛成の熊と議論すると、かなりリベラルの側に立つことになる。
「熊みたいなおっさんがさ、外国人出て行けとか言うと、トチ狂った街宣右翼だと思われるよ」と言うと、熊は決まってこっちの氏素性を持ち出してくるようになった。「北九州のパイナップル(手榴弾)が転がってるようなところで育った、野蛮な人には言われたくないね」
一昨日、自分らの仕事仲間を10人近く連れてホームパーティをやった後、皆で、わざわざ、この熊の店になだれ込んで場を盛り上げた。
しかし「この熊のような店主は、実はネトウヨなんだよ」といくら挑発しても、笑顔をみせるだけ。最後まで、いい店の主人を演じきる。
熊は、自他共に認める、小心者の恥ずかしがり屋さんなのだった。
本文敬称略
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