複眼を持った冷静な報道が、日本人の思考を回復させる
- 2015/04/08
- 13:17
【政治家は、マスコミを利用するもの】
『報道ステーション』(テレビ朝日系)で、2015年3月27日、安倍首相の外交姿勢を批判したのちに番組降板となった元経産省の古賀茂明が物議をかもした。テレ朝が謝罪したものの真相は何も見えない。どこまで古賀に証拠があるかは分からないが、ここまで拳を振り上げた以上、古賀が官邸とテレ朝を敵にまわして刺し違えたほうが、後味がいい。所詮、『報道ステーション』も、多くの視聴者にとってはエンターテイメントだ。
一般的に、施政者からすれば、足を引っ張るマスコミは面倒な存在。だが、実際には政権は頻繁にマスコミを利用し、体制に不満がある勢力もマスコミを有効利用する。マスコミは双方から利用されて板挟みになる。
施政者が報道を掌握したいと考えるのは驚くに値しない。しかし意のままに報道を操るとニュースの質が落ちる。すると施政者にとっても活用度が下がる、ということがある。
【池上彰のあげるBBCに信頼があるわけ】
このあたりを上手に解説するのは、元NHKの記者だった池上彰だ。現政権でも、NHKに対しては、公共放送なのだから有効活用したいという動きがみえみえなのだが、池上がイギリスの公共放送局BBCを例に上げた話は、いずれも興味深かった。
ソ連が崩壊する前にゴルバチョフが別荘で幽閉されたとき。ゴルバチョフが、こっそりソニーの短波ラジオでイギリスのBBC放送を聞いてソ連国内のこと知った。そんな例を、池上は挙げる。
多くの国営放送は、政府の都合のいいことしか言わないと思われている。だから政府の当局者ですら、自分の国の放送は事実とは違うと思い、参考にできなくなる。にもかかわらずBBCだけは世界的な信用がある。なぜか。
アルゼンチンがフォークランド諸島に攻め込んだフォークランド紛争のとき、サッチャー首相がイギリス軍を出して、フォークランドを攻撃した。
その時にBBCは、報道で「イギリス軍が」と表現した。するとイギリスの保守党議員が、BBCの会長を議会に呼び出して追及し、なぜ、「我が軍」と言わず「イギリス軍」と表現したのか。「イギリス軍」などと他人行儀な言い方するな、と圧力をかけたという。
だが、「我が軍が」と表現すれば、一方の側の肩を持ってしまう。それでは中立という信頼が損なわれる。池上はそこを幾度も指摘する。
議会で追及されたとき、そのBBCの会長は「愛国心について、あなたにお説教される言われはない」とはねのけたという。そんなBBCに世界の信用があるというのだ。
【NHKには、相応の信頼もあったらしい】
池上が、大韓航空機撃墜事件の際に、韓国に取材に入ったときの話もあった。当時はまだ軍事政権が残っており、銃を向けて兵士が車を覗き込んでくるというものものしさ。緊迫したなかで、NHKの腕章を見せるやいなや韓国兵士たちは、「おお、NHKだ、NHKだ」と態度を一変させ、待遇がよくなった。
当時の軍事独裁政権の中で、韓国の放送は、政府の言うことしか伝えていない放送局だった。だがNHKは隣国の放送局であっても、客観的にきちんと伝える放送局だという信頼があった。兵士さえもそれを知っていた。そんな話である。
もっとも、この池上の話は、2014年4月の労組向けの基調講演での一部を取り出したもの。その点を差し引いて考えねば、単に現状のNHK賛美となってしまうが、こういった逸話は、「NHKは、偏向放送局だからけしからん。もっと日本の政権の正しさを放送しろ」という声に対して、別の視点から、冷静に報道について考えるための、一つの素材にはなりそうだ。
報道があまりに偏ると、当然のことながら、受け手は、怒るか見放すのであり、そこで一種の思考停止も起こる。とすれば、少なくとも複眼を持った冷静な報道こそが、停止気味の日本人の思考を回復させる、とは言えないだろうか。

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