【過激きわまる市民モンスターたち】〜
- 2015/04/25
- 02:20
言論のタブーに挑むとは、どういうことか?(3)
【過激きわまる市民モンスターたち】
「北朝鮮のスパイ養成機関、朝鮮学校を日本から叩き出せ。戦争中、男手がないところ、女の人をレイプして虐殺して奪ったのがこの土地。日本人ぶち殺して、ここの土地を奪ったんやないか。約束というものは人間同士がするものなんですよ。人間と朝鮮人では、約束は成立しません」
2009年末。京都市の公園が不法に朝鮮学校に占拠されているとして、在特会(在日特権を許さない市民の会)を率いる桜井誠らが、醜悪な言葉を用いて拡声器で怒鳴りまくり、その様子を動画にアップして世間の注目を浴びてから、およそ6年の歳月が過ぎた。その間にめまぐるしく、この問題で、政界、学術界、出版界や報道界も揺れ動いた。もちろん最も苦しんだのは在日朝鮮人の人たちである。
朝鮮学校側は、在特会を名誉毀損と業務妨害で訴えていたが、2014年12月9日に、最高裁第3小法廷が、在特会の上告を棄却。在特会側に約1200万円の賠償支払いと、学校周辺での街宣の禁止を命じた一審と二審の判決が確定した。その一方で、学校側は都市公園法違反により罰金10万円の略式命令を受けている。
この事件に関し、法的には決着がついた形だが問題はそう簡単ではない。被害の深刻な学校側はもちろんのこと、在特会を支援する人たちやネット右翼と称される人たちも納得しない。インターネット上は今もかなり騒がしい。
在特会は、「市民の苦情をもとに公園占拠の違法性を確認した上で行為に及んだ」としており、さらに歴史的な問題を持ち出して、本来、在日韓国人は、法的にも外国人であって、日本に住む権利のない人だと主張している。学校側はその主張を受け入れるわけにはいかないし、在特会の支援者らは、その理屈が認められないと納得しない。つまり、ヘイトスピーチという手法だけの問題ではない、ということである。
在特会はウェブサイトで、会の趣旨を説明する。
〈在日特権を許さないこと…極めて単純ですが、これが会の設立目的です。
では在日特権とは何か? と問われれば、何より「特別永住資格」が挙げられます。これは1991年に施行された「入管特例法」を根拠に、旧日本国民であった韓国人や朝鮮人などを対象に与えられた特権です。在日特権の根幹である入管特例法を廃止し、在日をほかの外国人と平等に扱うことを目指すことが在特会の究極的な目標です。しかしながら、過去の誤った歴史認識に基づき「日帝の被害者」「かわいそうな在日」という妄想がいまだに払拭されていない日本社会では、在日韓国人・朝鮮人を特別に扱う社会的暗黙の了解が存在しているのも事実です〉
その後も、在特会の攻撃は止まらない。在日韓国人の集まる東京の新大久保や、大阪の鶴橋でも大規模で派手なデモを繰り返し、物議を醸してきた。
2013年6月の鶴橋の反日デモでは、女子中学生がこう叫んだ。
「韓国人の方々。あなたたちのことですよ。生きている価値がないんですよ。どうしてこの世に生まれてきたのか。あなたたち韓国人、子供がクソなら、親もクソ。いま、こんなに言われて悔しい韓国人。あなたたちの親も同じようにクソだった。ゴキブリ集合。叩きだせ」
そしてデモ隊は口々に叫んで鶴橋を練り歩く。
「朝鮮人は全員、死にさらせー。首を吊れー。焼身自殺しろー。韓国豚肉料理ってなんだ。共食いでも起こしてんのか。豚肉韓国料理たたきつぶせ」
彼らが敵対視するのは、在日だけではない。同和、創価学会、平和運動、反原発派などに対してターゲットを広げていく。
2013年3月のパフォーマンスは、さらに異様なものとして注目された。大阪の鶴橋での街宣活動では、女子中学生がマイクを握り過激なスピーチをした。
「鶴橋に住んでいる在日クソチョンコの皆さん。ほんま憎くて憎くてたまらないです。もう殺してあげたい。いつまでも調子に乗っとったら、南京大虐殺じゃなくて鶴橋大虐殺を実行します。日本人の怒りが爆発したら、それくらいしますよ。実行される前に自国に戻ってください。ここは日本です。朝鮮半島ではありません」
在特会のウェブサイトによれば、会員は増え続け、2015年3月27日現在では、15412人(うち女性2174人)におよんでいる。東京都の2759人を筆頭に、神奈川1235人、大阪府1390人、福岡県661人などに集中するが、その勢力は全国に広がりつつある。
桜井の出版した『大嫌韓時代』は、9刷10万部を超える(2014年末)勢いだという。出版・書店業界では賛否含めて、手放せないテーマ商材である。
国連の人種差別撤廃委員会は、2014年8月、この日本のヘイトスピーチを取り上げて、厳しく対処し法規制するようメッセージを出した。またアムネスティインターナショナルは、2015年2月25日、「日本は、国際的な人権基準から乖離し続けている」と警告した。
国連の常任理事国入りを目指す安倍首相も、国際社会からの痛烈な批判にまで及んだことに、その動揺を隠せない。
もとはといえば、安倍政権の「戦後レジュームの転換」という、歴史の見直し政策を支援してきた小さな市民運動を名乗るグループが、足を引っ張り始めたのだから…。
【なぜ、桜井誠は殺されないのか?】
しかし、報道や出版にかかわり、あるいは社会運動について少しでも知っている人の疑問はそこだけではない。
桜井誠は、「ここまでやって、なぜ殺されないのか?」という、きわめて単純な疑問を呈している。
もし後ろ盾に、右翼や政治家、暴力団がいたとしても、これが20年前であったら、「間違いなく桜井は抹殺された」という点で大方の意見は一致する。
振り返れば、2011年の1月の事件では、在特会の副会長なる男が、水平社博物館の前で拡声器で、どなっている。
「この水平社博物館、ド穢多どもはですねえ、慰安婦イコール性奴隷だと、こういったこと言ってるんですよ。文句あったら出てこいよ、穢多ども。ね、ここなんですか、ド穢多の発祥の地、なんかそういう聖地らしいですね」
「穢多やら非人やらいうたら、大勢集まって糾弾集会やら昔やっとったん違うんですか。出てこい、穢多ども。何人か聞いとるやろ、穢多ども、ここは穢多しかいない、穢多の聖地やと聞いとるぞ。出てこい、穢多ども、おまえらなあ、ほんまに日本中でなめたマネさらしやがって」
「いい加減出てきたらどうだ、穢多ども。ねえ、穢多、非人、非人。非人とは、人間じゃないと書くんですよ。おまえら人間なのかほんとうに」「穢多とは穢れが多いと書きます。穢れた、穢れた、卑しい連中、文句あったらねえ、いつでも来い」※平成24年6月25日民事部判決・判決文本文より
この事件も、水平社博物館を原告とする民事訴訟で、奈良地裁は、「穢多・非人は蔑称ではない」とする副会長の男の訴えを退け、慰謝料150万円の支払いを命じている。
在日朝鮮人のみならず、日本最大の差別問題でありタブーである同和問題に、ここまでの剥き出しの差別意識と差別語でまくしたてた事例はない。
いや、いまでも十分にリーダー格の桜井が殺害される可能性はある。だから驚きなのだが、10代や20代の人たちは、そういうことはわからない。
マスコミも報じていないからである。いや報じようにも報じられなかったからだ。「桜井は、どこまで腹をくくっているんだ」という反社会勢力の声も聞こえてくる。金でしか動かない勢力にも、プライドに限界がある。
では桜井は本当に殺されるのか、あるいはこういった街宣運動が、集団リンチや虐殺につながるのか、という疑問については次号以降に書く。
この複雑な社会問題とマスコミ、そして桜井のことを考えるには、どうしても時代の針を少し巻き戻さなければならない。
まずは前述の「朝まで生テレビ!」について、田原総一朗に直接会って5年前に書いたインタビュー記事を転載しよう。
(引用ここから)
【差別という難しい課題に、どこまで踏み込めるか】
〈89年7月には、「人権と部落差別」を放送した。
「これもね、相当、難しかった。最初の放送では、まず企画して局や出演者を説得するまでに、日下プロデューサーは、半年以上かかったと思う」
差別問題は根が深い。歴史が引きずってきた重い差別があり、差別が元で起こった被害や事件がある。差別を解決していくために長く続いてきた闘いがある。一方には運動論の問題やその解決手法の問題、さらには同和利権の問題までが横たわっている。
「社会党系の部落解放同盟と共産党系の全解連(全国部落解放運動連合会)があり、自民党系の自由同和会がある。この三つの団体というのは、これまで一度もテレビで席を同じくしたことなんてなかった。だから、もちろんテレビで三つの団体が議論することなんてない。まったく初めての試み。特に部落解放同盟と全解連は非常に仲が悪かった」
事実、この二つの団体は、その歴史や思想、運動方針の違いから頻繁にぶつかってきた。
「ここでまた、日下流なんです。あっちの団体に行って、だめだよ、そんな番組に出られるはずがない、と言われる。そうですか、すみませんとなる。顔を合わせたら大げんかになると言われて、すみませんと帰ってくる。それでもまた行く。三つの団体に何度も行く。それで実現したわけです」
テレビで初めての討論番組は実現した。
「とにかく大騒ぎでしたよ。よくこんなものができたと。部落解放同盟も全解連も、みんな番組の趣旨には賛成でまたやろうということになった」
最初の放送から4ヵ月後の89年11月には、「人権と部落差別 第二弾」を放送し、92年5月にも激論!“差別・人権”と表現の自由!」を放送している。
「結局、それまでというのは、部落解放同盟にしても、自分たちが何を考え、どういう差別と闘ってきたのかを、しっかり言う機会がなかった。全解連にしてもそう。新自由同和会にしてもそう。自分たちは、こんな運動をしてきたのだと主張できる場が、限られていた。いいたくてもメディアがこういう問題をやらない。それを全国民に訴える機会がなかったわけですよ」
(引用終わり)
この放送は衝撃的だった。あの部落解放同盟と全解連が、いっしょに出るのかと、関心のある人たちが仰天したのは無理のないことだった。なぜなら…。
1973年に起きた、兵庫県の八鹿高校差別事件は、深刻な差別であるとともに、解放運動の凄まじさを物語っていた。
この事件の概略は、同和地区の女子高校生と交際していた男性の父親が息子に書いた手紙に端を発していた。
「あの部落に出入りしていたら、お父さん、お母さんは地区の中でも人に気がねしなければならない。諦めてほしい。同和行政は口でこそ言っているが本物ではない。部落の人同士の結婚を前提として行われているにすぎない」
部落解放同盟の同盟員らが怒らないはずもなかった。その最中に、別の女子高校生が差別による失恋で家出して、凍死する事件も起こった。
糾弾とは、差別を受けた人が差別をした人などを呼び、差別行為の事実関係を確認し差別問題に対する認識姿勢を糾すことをいう。精神的な恐怖感を覚えるまで罵倒し続けるスタイルが顕著になった。
この男性の父親が兵庫県の幹部職員だったこともあり、相当規模の糾弾に発展した。部落解放同盟の同盟員は、下校中の教職員約60名を学校に連れ戻し、約13時間にわたって、監禁、暴行したことが明らかになった。その結果、教師48名が負傷、うち29名が重傷、1名が危篤となった事件で、同盟員13人が起訴され、裁判は刑事、民事あわせて16年間も続き、同盟員らには慰謝料含めて約3000万円の支払いを命じた。朝日新聞には、事件当時、「なぜこの記事を書かないのか」という抗議電話が20日間に約500件もかかったというが、記事にするには20年かかったようだ。
実際に、高知で取材をしていたとき「差別は存在しない、むしろ解放運動が差別を助長している」という全解連と、「差別があるから闘っている」という部落解放同盟が骨肉の争いを繰り広げていた。
地方ではすさまじい差別がある。その差別のカウンターである解放運動の力を利用した、行政への圧力が差別解消運動を複雑にしていた。
1981年の、部落解放同盟の地区協書記長と全日本同和会会長が手を組んだ「北九州土地転がし事件」は、地元誌の「小倉タイムズ」の故・瀬川負太郎記者がスクープした。
市が同和住宅建設で土地を買い上げる前に、地主から第三者に土地所有権を移し、10ヶ月~半年後に、2~7倍で市に買収させるという土地転がし行為だった。かなりおいしい話である。
「解放同盟のところでは、道路の拡張で簡単に土地を買っとる。なんでこっち同和会の土地が買えんのか。差別するのか」
「同和会の土地を買うとるんなら、解放同盟の土地も買えるやろう」
こうやって、二つの組織が手を結び、交互にお脅して、行政の担当者を追い込んでいく。こうなると巧みなプロの仕事である。
94年には、高知で特別養護老人ホームの職員が、差別書簡の捏造を認め、「人権条例を制定させるには、いろんな差別事例が必要だった。…部落解放のためにやった」と自供した事件も起こっていた。
97年には大阪市で解放同盟に事務所に銃弾が撃ち込まれる事件も発生。暴力団との関係が各地で取りざたされた。
【高知新聞社の長期連載が、犯罪を暴いた】
実際のところ、田原による92年の放送は、この問題については、報道のタブーに風穴を開けたとまでは言い難かった。放送しただけでもすごいことだったが、差別やえせ同和行為がなくなったわけではない。
2000年3月1日付で、第一報を報じた高知新聞は、一つの疑惑から、2013年6月4日から7月4日まで30回にわたる同和関連疑惑を連載し続けた。それは差別も多いなかで、差別問題とは切り離し、犯罪は犯罪であると、同和行政問題がらみの「巨額不正融資」を追い込んでいったものだった。
報道に後押しされる形で県議会が地方自治法一○○条による調査委員会を設置して真相究明に乗り出した。県警、検察も動いた。事件では元副知事、県幹部らが逮捕され、背任罪で有罪判決を受けた。
この記事に驚いたのは、まさに全国の新聞記者だった。「在日問題、同和問題にだけは触るなよ。お前にはムリだ」と入社して聞かされた経験は、だれしもがあっただろう。事実を報じられないという報道機関の敗北の連続だった。その不満が国民のなかに鬱積していく。
この一連の連載が新聞協会賞を受賞したのは、そういった背景によるものである。
もっとも、この記事によって根深い差別が解消されたかといえば、逆であろう。知るかぎりでは、むしろ助長された。
1966年に国会で成立した同和立法は2002年で終わったが、その費用は約33兆円にも及んだ。そのことが逆差別をも生み、しかも一つの地区に住居を固定された人たちが、いまも陰湿ないじめや差別を受け続けている。
東京で話を聞くと「差別なんてないんだろう」という答えが圧倒的に多い。旧身分制度で人としての価値を否定された人たちの苦しみは、単なる好奇心でしかない。不正と利権構造は、いまだに差別問題と複雑に絡み合う。
2004年6月には、NHKが「“食肉のドン”の犯罪 ~牛肉偽装事件~」を放送。溝口敦は、同年11月、『食肉の帝王 同和と暴力で巨冨を掴んだ男』を出版し、講談社ノンフィクション賞を受賞している。
「政・官・財・暴を横断する聖域に隠れ潜むフィクサー浅田満は、今なお自由に飛翔を続けている」と綴る溝口は、同和利権のスキームを見事に暴いた。
「時代の風に助けられた側面があるとはいえ、かねてこの世界にメスを入れることは不可能とされていた世界を、これだけ取材してストレートに書いて発表したということは「週刊現代」編集部ともども立派である」
ジャーナリストの立花隆は、こう絶賛した。
ところがその翌年、2005年1月23日にテレ朝系列の『サンデープロジェクト』の番組中に、田原総一朗がこの問題を取り上げ次のように言ったときに、新たな問題が起こった。
「この人をやらないマスコミが悪いんですよ。この人が被差別部落のなんとかといってね、恐ろしがっている」
「それを大谷さんがやるんだよね。この人は被差別部落をタブー視しないからできる」
そう発言すると、高野孟が言った。
「大阪湾に浮くかもしれない」
この発言にはさすがに部落解放同盟も放置できないとして、テレビ朝日に抗議し、テレ朝も謝罪しているが、こういう巨額の利権は、差別問題に限らず、隠すほうも必死である。ライターの遺体がどこに浮いても不思議はない。
【在特会は、怪物か、それとも捨て石か】
講談社の『G2』という雑誌に2回にわたって書いた記事を、一冊の本にまとめたという『ネットと愛国ー在特会の「闇」を追いかけて』(安田浩一著)が、2012年4月に出版された。
よくできた本ではあるが、なぜか、堅いものを食べたあとの消化不良のような読後感だった。桜井らを「悪」として、その正体と素性を徹底して暴くという筆力に、幾度もためらいを覚えたからだった。
在特会の動画ばかりを見ている、埼玉県の35歳の男性(一杯飲み屋の店長)は、「どうみても、入れ墨を入れ、指を突き立てているカウンターのほうが普通じゃない」と露骨に嫌悪感を示した。彼は、いわば在特会にシンパシーを覚える人だった、
ジャーナリストの寺澤有は、「どちらの勢力も異常で病的」と切り捨てた。そして、これを警察が取り締まらないのは、ヘイトスピーチ規制法を成立させたい警察庁の思惑がある。これを成立させるのは、勝ち取ってきた日本の言論の自由を殺すことだと手厳しい。その寺澤が、参考までにとメールで教えてくれた映画「レイシストカウンター」を観た。
レイシスト(差別主義者)=悪を、いろいろな立場の人がカウンター(反撃)することへの意義を、カウンターの人たちへのインタビューを通じて浮き彫りにする趣旨のようだったが、その意味はなかなか理解できなかった。闘うためには、逮捕も辞さないという人もいた。
予断を許さない安倍政権の右傾化傾向へのカウンターのようにも映ったが、主催者によれば、「彼らは決して左翼の運動ではない」とのことだった。
偶然にも桜井誠と同じ北九州市に育った僕は、この問題の複雑さを、おそらく他の人たち以上に、肌身に感じている。在日コリアン、在日朝鮮、同和、中国、施設、炭鉱、漁師という様々な立場の勢力が、共存しながらも、いくつもの矛盾を抱えている地域。ある者は勢力に挑み、ある者は関わらず、ある者は不幸な巻き込まれかたをする。アウトローに走った知人は不幸な死に方をした。事件化され報道されるのはごくわずかだ。学校では、平等や人権が言われるが、正しいのは誰なのかは見えない。ただ、こういう地域で育つとメンタリティは強くなり、どんな武勇伝にも驚かなくなる。桜井の強さもそこにあるだろう。
地域とともにあった武闘派の工藤会はここ10年さらに凄まじい。この問題も簡単ではない。関わる人間にはいろいろな言い分がある。
『ネットと愛国ー在特会の「闇」を追いかけて』の著者の安田は、本書のエピローグに、こう書く。
「もちろん私だって差別は大嫌いだし、在特会の主張にシンパシーを持ったことなど一度もない」
そこを読んで、さっそく在特会のモンスター桜井誠にインタビューを申し込んだ。在特会のやり方は、ある種のテロリズムである。自著で「捨て石になる」と書いた桜井は確信犯であり、時代の申し子である可能性が高い。
しかし、一度まとったイデオロギーや主張のシンパシーは、それが事実に反していてもなかなか拭えないものだ。安田のシンパシーは、桜井らの本質を見落としていないだろうか。
在特会の発生とその生成は、日本社会の課題の持つ縮図のようだ。
おそらく、在特会が指摘する報道の矛盾の範囲はかなり広い。政治や政策、学術にも深く根ざす以上、この国に蔓延する戦後70年の課題をすべてきちんと洗い直す作業が必要になる。もちろんそれは、右や左の勢力とは関係ないものもある。そういった作業は、本来、冷静な学術界にこそ求められるべきだが、在特会に関係する論文を読むかぎりでは、まだ、学術界も、心もとない。検証に時間がかかるからだろう。
学術は、右や左という思想からは距離がなくてはならない。在特会にしろ、ネット右翼にしろ、そこに事実の取り違えの危うさは多分にあるが、正しさも多分にある。在特会の、過激なデモばかりに目を奪われずに、その正しさの部分に光を当てることも必要だ。行為の奥にある、彼らの問題意識に迫るほかはない。
桜井からは、4月末までの期限では調整をしたものの、どうしても都合がつきません、という丁寧な返信が来た。
いっぽうで、ここ1年、北朝鮮では中国との関係で、ただならぬ動きが顕著になってきている。南北朝鮮の問題と在日の問題は、もっと正確な情報を必要としている。
本文敬称略
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